校長退任の証と感謝

不変で信頼できる神のことば

前校長 斎藤 秀文

「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ11章36節)

主は私にもう一つの働きの舞台として、神学校へ18年前に遣わしました。その働きを終えるにあたり、今、私のうちにあるのは主への感謝です。この感謝は、単に神学校の働きを終え次の人へとバトンタッチできた喜びではありません。それは、神のことばだけが、不変で絶対に信頼できるとの信仰さえもが神によって与えられているという幸いを再確認した時だったからです。その幸いな奉仕の背後には、私の知らないところでの多くの先生方、諸教会の祈りと支援が献げられている、これを知らされたからです。これは私にとって大きな喜びでした。

しかしこの18年は、決してうれしい事ばかりではありませんでした。コロナ対策、学生の心身の健康問題、財政問題等々、悲しい事、悔しい事、様々ありました。そして5年間の校長職という奉仕でしたが、プレッシャーのゆえに悪夢にうなされる夜が度々ありました。しかし、今、それらすべてが、神が私に見せて下さったユニークな人生の景色であり、すべてが恵みであったのです。ただ神を賛美するのみです。

更に神学校での奉仕は、驚くほど魅力的な働きでした。それは、福音に生きる主の民を通して、全てが神のなされる宣教の業だと知る奉仕だったからです。「主は私に色々な景色を見せて下さった」といえます。その景色は、「人とはその置かれた場所によって見える景色が違う」のです。そしてその全てが主の御配剤の中にあったということです。

私は、これらの景色を楽しみ、また自分に与えられた境遇をも主が与えて下さった人生である、という喜びと感謝を味わったのです。このように言えるのは、「真理のみことばへの不動の信頼」と「聖書信仰に立つ神学的枠組みをもつ」ことの大切さを学生たち、先生方とこの神学校で再確認できたからです。ここで私は、「主がみ言葉で証しされているところに聞き、それをどこまでも、あらゆる場面で基盤(であり前提)として生きる以外に確かなものはない」このことを神学校で私は、改めて教えられたのです。信仰は、人の決意や熱心さなどによるのでも、個人の人間性によるのではなく、神からの賜物だということの再認識でした。

私にとっては、これらの確認をさせて頂く神学校での奉仕でした。私が一番大きな憐れみを頂いていたのかもしれません。それ故に、この働きを与えて下さった主に感謝し、それを支えて下さった多くの主にある神の民(同労者)に感謝します。

最後に、主にあって私を送り出してくれた金沢聖書バプテスト教会と妻に感謝して最後の便りとさせて頂きます。この度、日本バプテスト聖書神学校を卒業することが出来ました幸いを、心より主に感謝申し上げます。また、この学びの場をお与え下さった神学校の諸先生方、及び、祈り支え続けて下さった諸教会の兄弟姉妹方に、心より感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。