卒論概要
東アジア、特に日本と朝鮮半島における福音宣教の歴史についての一考察
なぜ日本のクリスチャン人口は1%を超えないのか
歴史を振り返ることによって宣教の課題と祝福について検討する

卒業生 池側 真紀
4年課程・茨城BBC
本論文は、東アジア、とくに日本と朝鮮半島における福音宣教の歴史的展開と現状を比較・考察し、今後の宣教のあり方を模索することを目的としています。著者は、修士論文で朝鮮人詩人・尹東柱の信仰と生涯を研究したことを契機に、北朝鮮宣教を含む東アジアへの関心が深まり、この研究に至りました。
第1部では、カトリックからプロテスタントへの宣教の流れを概観し、宣教師の活動と現地教会への宣教主導権の移行に焦点を当てました。朝鮮半島では宣教師が準治外法権的立場を得て長期間主導的に活動したことで、信仰の土台が深く築かれました。一方日本では、宣教師から日本人知識層への主導権移行が早く進みましたが、これは信仰の成熟というより政治的・文化的妥協の結果であり、「日本的キリスト教」の形成を促し、教会の自立や信仰の普及に課題を残しました。
第2部では、福音の受容を歴史的背景、宗教政策、国民性、社会構造の違いから分析しました。日本の天皇制や神社参拝政策に対して多くの教会が「神社非宗教論」で妥協した一方、朝鮮半島の学校や教会、美濃ミッションのような一部の日本の宣教団体は偶像崇拝を拒否する姿勢を堅持しました。また、自由主義神学が聖書の権威に与えた影響にも着目しました。「血によってではなく・・・ただ、神によって」(ヨハネ1:13)という御言葉から、信仰には国民性の違いはないものの、偶像崇拝や聖書に対する姿勢の違いが宣教の祝福に影響を与えたことを論じています。
第3部では、戦後の福音宣教の動向を検討しました。日本ではGHQの政策により一時的に宣教師活動が活発化しましたが、日本人の文化的価値観や帰属意識など複合的な要因で拡大は停滞しました。韓国では朝鮮戦争後の混乱の中で教会の成長が顕著に見られましたが、現在は自由主義神学や教会の腐敗などによって信仰の純粋性が揺らぎ、鈍化しています。また北朝鮮において厳しい迫害下でも命がけの宣教が行われていることも触れています。
本研究を通じて、宣教の過程には歴史的・文化的背景の違いがあるものの、それぞれに神は祝福と課題を与えており、宣教の実りは数や比率ではなく、神の主権と恵みによることが示される一方で、偶像崇拝や聖書の権威を否定する姿勢には祝福がないことを聖書と歴史から学びました。日本における「1%の壁」を超える鍵は、私たちが主のことばに堅く立ち、唯一真の神を礼拝し、神の宣教に参与することであり、終わりの時代にあっても、揺らぐことなく主にあって忠実に歩み、愛をもって福音を大胆に語る者として生きることが、今私たちに求められている答えであると結論づけています。
卒論発表会では、歴史の霊的解釈の客観性や史料精査や現代的課題の深掘りの必要性などの指摘を受け、歴史神学の難しさを改めて実感しました。今後も御言葉に堅く立ち、福音宣教を続けながら歴史を視る眼を養いたいと考えています。