伝道実習の報告と証し

5月20日〜25日、若葉BBCにて

私に必要なメッセージだった

2年 安藤 のゆる

主のゆるしの中で、伝道実習をさせていただけたことに感謝します。

1年前に同じ若葉教会で実習をさせていただきました。入学して間もない私は、体力・行動力・霊性等、他者と比較し自分が劣っているように感じていました。自分を自分で低く評価してきた背景に向き合わされ、実習後も主に取り扱っていただきました。

今回は実習直前のご奉仕が立て込み、願うような十分な備えができない中で始まった実習でした。しかし、前回の熊谷BBCでの伝道実習で教えていただいた、「自分の願うようにならなくても、主の御旨が成ることを喜ぶ」ことを祈り求め、不思議な平安を覚えていました。また、神学校での1年間の学びと訓練を通して、神ご自身を知る幸いや、主は私のすべてを知っておられる上で愛し赦して下さった一方的な恵みを教えていただいてきました。同じ主がこの実習を通して私を練りきよめてくださることを思うと励ましをいただきました。

様々なご奉仕が与えられていましたが、特に日曜学校の中高生クラスでのメッセージを通して、主は私を養ってくださいました。教会学校教案誌「成長」のカリキュラムに沿い、マタイ25:14〜30の「タラントのたとえ話」から語らせていただくことになりました。祈り、思い巡らし、学びながら取り組むのですが、何をどのように語ればよいか悩まされ、明らかに苦戦していました。ご奉仕、交わり、神学校での学びと説教準備は切り離せず、主は全体を通して私を教え導いて下さっていることを知っていきました。何よりも私にこのメッセージが必要であることが示され、驚きと感動を覚えました。そして3つのことを教えていただきました。

一つ目は、しもべをよく知る主人がタラントを委ねてくださったということです。主人が預けたものは主人のものであり、主人の財産でした。側で生活し、しもべの良さも弱さも知っている主人が自分の財産を預け、しかもその使い道を指定せず委ねて下さったことは私にとって不思議でした。

二つ目は、それぞれの能力に応じて預けてくださったということです。私自身、「他者と同じか、または他者より多い」方が良いと無意識に考えてしまっていたことを示されました。自分の能力より多い場合、それを負い切れず、むしろ重荷になってしまうことに気付かされました。全知の主が与えてくださっているものであるため、最善と認めることが必要と教えられました。

三つ目は、主は忠実さを見られるということです。主人は預けたものの量がどのくらいか、増やした量はどのくらいかを評価の基準にはされませんでした。神を愛し、忠実にタラントを使うことが主の求めておられることでした。また、主人の喜びを私の喜びとしてともに喜べることが真の幸いであることを知りました。

他者と同じように主に仕えるのではなく、主が私に委ねて下さった分を感謝し、主の前に忠実に仕え続ける歩みを求め続けていきます。