神学校だより-2505
2025年5月号、Vol. 96
行事予定 9月2日・授業開始 9月30日〜10月3日・ オープンキャンパス(第1週目) 10月7日〜10日・オープンキャンパス(第2週目) 10月13日〜17日・伝道実習 11月4日〜5日・秋季講座 11月18日・第1入学考査 12月16日〜1月9日・冬季休暇
編集後記 編集者 上田 平安 『神学校だより』の読者のひとりから、編集者のひとりになりました。「編集後記」というものを生まれてはじめて書くにあたり、その目的と意味を調べました。「編集後記」には、本号と次号、刊行物と読者をつなぐという目的があるようです。神学校の使命が次世代へと引き継がれている中で、本号も、読者と神学校をつなぐ一つの媒体となっていきますように!
「JBBC同窓生の声」募集! 編集者 三谷 浩司 「神学校だより」に同窓生の方の証を連載したいと思っております。在学中の思い出、卒業(修了)後の歩み、近況と祈りの課題、在校生や入学を祈っている献身者へのアドバイスなど、自由な内容で寄稿してください。常時受付いたしますが、担当者から直接依頼させていただく場合もございます。 字数は1200字以内、写真も添えていただけると大変感謝です。Eメールの場合は三谷宛のメアド(godislove1122mitani@gmail.com)にお願いします。郵送の場合は神学校宛にて「神学校だより原稿在中」と明記してください。多くの方の寄稿を期待いたします。よろしくお願いいたします。
オープンキャンパスの証し 与えられた経験を感謝します 池田 裕樹 (船橋BBC) 主の尊い御名を賛美いたします。今回のオープンキャンパスに参加が許されたことを神様に感謝します。 2024年末に家庭の事情により、約35年間働いた職場を退職しました。その折りに、神様は一般社会では得難い素晴らしい体験をさせていただきました。 知識面では、組織神学、論述入門、伝道学、聖書地理、英書読書、ギリシャ語等々。様々な受講が許されました。実生活では、早天祈祷会、チャペル、合唱、お食事、お風呂まで先生方や神学生、他教会の参加者と寮生活を短期間ですが共に過ごして楽しい交わりの時でした。 教えられた聖書の言葉は、私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。神は言われます。「恵の時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」(2コリント人への手紙6:1~2) 昨今のニュースの世界情勢は、戦争、紛争、地震、災害等目まぐるしく変化していますが、神様からの生命(いのち)を与えられている大切さを考えさせられました。 神様の恵みを無駄に受けないようにとみことばの通り、一コマ単位の授業、休憩時間のカフェ、雑談までも新鮮な気持ちで恵みを感じました。 今までの信仰生活を振り返りつつ、最初の原点に戻りたいと意識した授業の中では、テーマは「教会を正しく理解している聖徒」を次の3つに分けた内容が、①自分がキリストのからだの一部だと分かっている聖徒②通っている教会が自分の教会だと思えている聖徒③教会の集まりには全て参加したいと願って行動する聖徒でした。 イエス様を信じて、バプテスマを受けて、教会のメンバーシップになった聖徒を神様はどのように歩んでほしいのかと再確認の時であり、現在、通っている教会が自分の教会であり、自分の教会を愛し、大切にする。一つ一つの集まりにもできる限り参加して、キリストのからだの一部としての役割を認識するという内容でした。 今回の体験を与えてくださった神様に感謝すると共に、多くの時間を提供いただいた神学校の先生や事務局、派遣してくださったJBBF諸教会、神学校の運営の為に仕えてくださった神学生の兄弟姉妹の為に、引き続きお祈りをささげていきたいと思いました。 ありがとうございました。
伝道実習の報告と証し 5月20日〜25日、若葉BBCにて 私に必要なメッセージだった 2年 安藤 のゆる 主のゆるしの中で、伝道実習をさせていただけたことに感謝します。 1年前に同じ若葉教会で実習をさせていただきました。入学して間もない私は、体力・行動力・霊性等、他者と比較し自分が劣っているように感じていました。自分を自分で低く評価してきた背景に向き合わされ、実習後も主に取り扱っていただきました。 今回は実習直前のご奉仕が立て込み、願うような十分な備えができない中で始まった実習でした。しかし、前回の熊谷BBCでの伝道実習で教えていただいた、「自分の願うようにならなくても、主の御旨が成ることを喜ぶ」ことを祈り求め、不思議な平安を覚えていました。また、神学校での1年間の学びと訓練を通して、神ご自身を知る幸いや、主は私のすべてを知っておられる上で愛し赦して下さった一方的な恵みを教えていただいてきました。同じ主がこの実習を通して私を練りきよめてくださることを思うと励ましをいただきました。 様々なご奉仕が与えられていましたが、特に日曜学校の中高生クラスでのメッセージを通して、主は私を養ってくださいました。教会学校教案誌「成長」のカリキュラムに沿い、マタイ25:14〜30の「タラントのたとえ話」から語らせていただくことになりました。祈り、思い巡らし、学びながら取り組むのですが、何をどのように語ればよいか悩まされ、明らかに苦戦していました。ご奉仕、交わり、神学校での学びと説教準備は切り離せず、主は全体を通して私を教え導いて下さっていることを知っていきました。何よりも私にこのメッセージが必要であることが示され、驚きと感動を覚えました。そして3つのことを教えていただきました。 一つ目は、しもべをよく知る主人がタラントを委ねてくださったということです。主人が預けたものは主人のものであり、主人の財産でした。側で生活し、しもべの良さも弱さも知っている主人が自分の財産を預け、しかもその使い道を指定せず委ねて下さったことは私にとって不思議でした。 二つ目は、それぞれの能力に応じて預けてくださったということです。私自身、「他者と同じか、または他者より多い」方が良いと無意識に考えてしまっていたことを示されました。自分の能力より多い場合、それを負い切れず、むしろ重荷になってしまうことに気付かされました。全知の主が与えてくださっているものであるため、最善と認めることが必要と教えられました。 三つ目は、主は忠実さを見られるということです。主人は預けたものの量がどのくらいか、増やした量はどのくらいかを評価の基準にはされませんでした。神を愛し、忠実にタラントを使うことが主の求めておられることでした。また、主人の喜びを私の喜びとしてともに喜べることが真の幸いであることを知りました。 他者と同じように主に仕えるのではなく、主が私に委ねて下さった分を感謝し、主の前に忠実に仕え続ける歩みを求め続けていきます。
伝道実習の報告と証し 5月20日〜25日、若葉BBCにて 多くの恵を感謝 3年 三浦 基宣もとのぶ 「ふたりはひとりにまさる。」(伝道者4:9)、「全地よ、主に向かって喜ばしき声をあげよ。」(詩編100:1)の二つの御言葉の下で「一緒に喜んで主に仕えよう」というテーマで伝道実習を受け入れて下さった事を感謝します。 また、ちょうど一年前の時は金曜日までだった事もあって「役割を果たす」事のみを気にして「一体感」のようなものは気にしなかったように思います。今回テーマ通りの経験もさせていただいた事を感謝します。 前回はスミス師とエイミー師による学びがメインでした。しかし今回は、インターンのような形式でした。そのメインイベントは日曜日午後のイースター子ども会で、そのための準備に多くの時間を割いた伝道実習となりました。 ただ私の場合、一番思い出されるのは水曜日の祈祷会でメッセージを私が取り次いだ事でした。祈祷会メッセージだからと「祈り」をテーマとしてルカ11:1-13からとしました。私の祈りに応えて原稿作成を導いた神様に感謝!そして私の母教会、奉仕教会である高槻聖書バプテスト教会のキング師と神学校校長の加治佐先生に私の原稿草案についての貴重なアドバイスをいただいた事に感謝です。そしてリハーサルの場を設けてくださり、その後に「自分の気持ちを落ちつかせるために、区切りとなる部分では2、3秒、間をおいた方がよい。」との助言を下さったスミス師に感謝です。私のメッセージが神様と若葉教会との関係をさらに近づけるものになっていれば、説教者として望外の喜びです。 イースター子ども会のようなイベントは私には苦手だなぁと思わされました。当日パワーポイント操作の係を受け持ちました。当日では歌の時に、前奏の半分終わった位でタイトルのみから歌詞へ切り替えようと思っていたらピアノ担当者が歌詞が表示されるまで黙って待つという、打ち合せ不足から来る失敗がありましたが、他は特に問題無かったと思います。私自身、今まであまり子どもの担当をしてこなかったために子どもの事がよく分かっていない部分あるなぁと思ってしまいました。この辺りは普段から子ども向け伝道に力を入れている兄姉の活躍により大盛り上がりだったので、適材適所と言えそうではありました。 その他ではスミス師が火曜夜の神学生祈祷会で「知恵」を求めるべきとメッセージをして下さった事が各会をより良いものにする為のアドバイスとなったと思います。また大人向けの日曜学校でもタラントのたとえのお話をして下さり、神のためにという思いを新たにしました。そして礼拝での渡邊兄の説教から「仕える」事に思いを馳せる時となりました。始めは長く感じても終わってみれば短かった一週間、ありがとうございました。
卒論概要 東アジア、特に日本と朝鮮半島における福音宣教の歴史についての一考察 なぜ日本のクリスチャン人口は1%を超えないのか 歴史を振り返ることによって宣教の課題と祝福について検討する 卒業生 池側いけがわ 真紀 4年課程・茨城BBC 本論文は、東アジア、とくに日本と朝鮮半島における福音宣教の歴史的展開と現状を比較・考察し、今後の宣教のあり方を模索することを目的としています。著者は、修士論文で朝鮮人詩人・尹東柱の信仰と生涯を研究したことを契機に、北朝鮮宣教を含む東アジアへの関心が深まり、この研究に至りました。 第1部では、カトリックからプロテスタントへの宣教の流れを概観し、宣教師の活動と現地教会への宣教主導権の移行に焦点を当てました。朝鮮半島では宣教師が準治外法権的立場を得て長期間主導的に活動したことで、信仰の土台が深く築かれました。一方日本では、宣教師から日本人知識層への主導権移行が早く進みましたが、これは信仰の成熟というより政治的・文化的妥協の結果であり、「日本的キリスト教」の形成を促し、教会の自立や信仰の普及に課題を残しました。 第2部では、福音の受容を歴史的背景、宗教政策、国民性、社会構造の違いから分析しました。日本の天皇制や神社参拝政策に対して多くの教会が「神社非宗教論」で妥協した一方、朝鮮半島の学校や教会、美濃ミッションのような一部の日本の宣教団体は偶像崇拝を拒否する姿勢を堅持しました。また、自由主義神学が聖書の権威に与えた影響にも着目しました。「血によってではなく・・・ただ、神によって」(ヨハネ1:13)という御言葉から、信仰には国民性の違いはないものの、偶像崇拝や聖書に対する姿勢の違いが宣教の祝福に影響を与えたことを論じています。 第3部では、戦後の福音宣教の動向を検討しました。日本ではGHQの政策により一時的に宣教師活動が活発化しましたが、日本人の文化的価値観や帰属意識など複合的な要因で拡大は停滞しました。韓国では朝鮮戦争後の混乱の中で教会の成長が顕著に見られましたが、現在は自由主義神学や教会の腐敗などによって信仰の純粋性が揺らぎ、鈍化しています。また北朝鮮において厳しい迫害下でも命がけの宣教が行われていることも触れています。 本研究を通じて、宣教の過程には歴史的・文化的背景の違いがあるものの、それぞれに神は祝福と課題を与えており、宣教の実りは数や比率ではなく、神の主権と恵みによることが示される一方で、偶像崇拝や聖書の権威を否定する姿勢には祝福がないことを聖書と歴史から学びました。日本における「1%の壁」を超える鍵は、私たちが主のことばに堅く立ち、唯一真の神を礼拝し、神の宣教に参与することであり、終わりの時代にあっても、揺らぐことなく主にあって忠実に歩み、愛をもって福音を大胆に語る者として生きることが、今私たちに求められている答えであると結論づけています。 卒論発表会では、歴史の霊的解釈の客観性や史料精査や現代的課題の深掘りの必要性などの指摘を受け、歴史神学の難しさを改めて実感しました。今後も御言葉に堅く立ち、福音宣教を続けながら歴史を視る眼を養いたいと考えています。
卒業生の証 4年の学びを感謝して 卒業生 池側いけがわ 真紀 4年課程・茨城BBC 長いようで短く、短いようで長い神学校生活も、主の恵みと導きによって守られたことを、まず何よりも神に感謝いたします。 この4年間、神さまは様々なことを通して、私を砕いて練ってくださいました。それはⅠペテロ1章6-7節にあるように、火で精錬されるようなもので、苦しいこともありましたが、それを通して主は様々なことを教えてくださったように思います。先生方から受けた授業での学びもとても貴重で、キリスト者としての世界観、物事の見方について改めて考える示唆が与えられ、自分の考えがどこから来ているか、見直すようになりました。また、宣教は神がなさるものでそれに私たちは参与させて頂くという見方も新たに教えられたことでした。視野を広げるような様々な授業を与えてくださり、チャペルや日々のお交わりを通しても励まし導いてくださった先生方に心から感謝申し上げます。 私が入学した時は、コロナ禍真っ只中にあって、人数も少なく学年各一人という時期でしたが、その分濃いお交わりができたように思います。同期がなく、直接共に学んだ先輩3学年、後輩3学年で12人と少ない人数でしたが、共に学び、訓練を受け、いろいろなことで励まし合うことができました。その交わりの祝福をとても感謝しています。 またこの学びと訓練は、母教会である茨木聖書バプテスト教会の先生方や兄弟姉妹の皆様のお祈りと励ましによって支えられました。先生方はじめ兄弟姉妹に感謝いたします。また、母教会が遠い大阪にあることもあって、4年間奉仕教会が与えられたことも感謝でした。1年生の時にお世話になった熊谷バイブルバプテスト教会、2年生でお世話になった太田聖書バプテスト教会、3年生から2年間お世話になった稲毛聖書バプテスト教会、それぞれの教会の先生方また兄弟姉妹の皆様に心から感謝いたします。また、水曜日の集会には、上田聖書バプテスト教会に、4年間通わせてくださったことも感謝でした。 卒業式を終えてから1か月少し経ち、大阪の夏の酷暑に参ってしまっていますが、「学ぶために入り、仕えるために出て行く」神学校から送り出されるように卒業まで守られたので、「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」(2コリント4章7節)の御言葉にあるように、土の器が砕かれて、中にある福音の輝きが現れるということを覚えて、主が福音宣教のためにこの土の器を砕いて用いてくださることを信じ、神さまがどのような働き場で用いられるかわかりませんが、導かれたところで、忠実に、謙遜に、主にあって、続けて歩んでいきたいと願っています。 最後に、すべてを与えてくださって支えてくださった私たちの愛する唯一真の主なる神さまに栄光を帰して、感謝の言葉とさせていただきます。
校長の机から キリストが形造られるまで 校長 加治佐かじさ 清也せいや 「私の子どもたち。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」ガラテヤ人への手紙4章19節 校長の任に就いてから4か月あまりが経ちました。入学式、卒業式など多くの行事や様々な対応すべき事柄がありましたが、主の守りと導きのうちに歩ませていただいたことを主に感謝します。また諸教会の皆様のお祈りにも心から感謝いたします。そのような日々の中で、神学校の働きについてあらためて教えられたことがあります。それが冒頭の箇所です。ここでパウロは、ガラテヤの信徒たちに対して深い霊的な愛と痛みをもって語っています。ここに私は、 神学校の働きに通じるものを見る思いがします。 第一にパウロは「私の子どもたち」と呼びかけています。ガラテヤのクリスチャンたちには問題がありました。恵みの福音を急に離れて、偽りの教えに流されていました。パウロは彼らを厳しく戒め、「ああ、愚かなガラテヤ人」とさえ言いました。しかしその厳しさには愛情がありました。それが「私の子どもたち」という言葉にあらわれています。パウロは指導者と信徒という関係を超えて、親のような気持ちでガラテヤの人達を見守り、関わっていました。神学校においても、教役者と学生という基本的な関係がありつつも、我が子を愛情と厳しさをもって育てるように、関わっていくことの大切さを覚えます。 第二に、パウロは「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで」と述べています。パウロの目的はガラテヤ人の深い霊的な成長でした。それは単に知識を与えることにとどまらず、人格的な交わりにおいて、人がキリストに似た者に造り変えられていくことを意味しています。キリストのような愛の人、献身的な人、喜びの人、柔和な人、善を愛し悪を憎む人・・・そのような人に信徒がなることこそ、パウロの目的であり、そのために一人一人に深い関心を寄せていました。神学校の働きも、学生たちが霊的に成熟し、彼らのうちにキリストが形作られることを目指したいと思います。教会の信徒についてもそうですが、献身者であればなおさらです。神学校の目的は、学生を何か自分の型にはめたり、学生に自分が考える理想を押し付けたりすることではなく、彼らがよりキリストに似た、成熟したクリスチャン指導者となることです。 第三に、そのために指導者は「産みの苦しみ」をするということです。パウロは霊的な親としてガラテヤの人達のために苦しみました。女性が子を産むときには、尋常でない激しい苦痛が伴うといいます。そのような産みの苦しみをもって、パウロはガラテヤの人達に関わりました。彼らがもう一度、恵みの福音に立ち返るように、身を削って祈り、悩み、戦っていたのでした。神学校も、主から預かった大切な学生一人一人のために、親心をもって悩み苦しむものでありたいと思います。親は子供の幸せをただ願います。子供から何かを得ようとせず、子供が正しく、楽しく、強く、優しく、何よりも神とともに歩むことを願います。そのためにどうするかを考え、祈り、時に悩み苦しみます。それは子供のことを、自分事として受け止めているからです。そのように神学生一人一人を祈りに覚え、育んでいければと思います。 あらためてこのみことばに、神学校の働きに対する大切な姿勢を教えられる気がいたします。教える目的は、単に知識の伝達ではなく、彼らの中に「キリストが形づくられる」ことです。そのために、神学校は親のような愛と忍耐をもって彼らの魂に関わることが大切です。しかしながらこのような働きは、とても人の力でできることではありません。 「私たちはこのキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」(コロサイ人への手紙1章28~29節)パウロは信徒をキリストにあって成熟した人とならせるために、労苦しながら奮闘していました。しかしそれは自分の力によるのではなく、「自分のうちに力強く働くキリストの力」によるものでした。次の世代を担っていく指導者の成熟のためになす神学校の働きも、人間の力ですることはできません。「自分のうちに力強く働くキリストの力」をいただいて、労苦し奮闘することができるのです。キリストの力を内にいただいて、献身者を育てるというこの貴い働きのため、労苦し奮闘させていただければと願います。 学生一人一人のうちにキリストが形作られるために、神学校が続けて忠実に務めを果たすことができますように、そのために内に力強く働くキリストの力が豊かに与えられますように、お祈りいただければ幸いです。